嫁取りをするほうでもそうですが、嫁入りさせるほうでもお金のかかることはたいへんです。
それでいて相手方には、それほどと思われなかったりした話は、よく耳にするところですが、徳川二代将軍秀忠の女和子が、後水尾天皇に入内した乏きのでとき、二条城(徳川氏の関西居城)から皇居に運びこまれた荷物は、三百七十八荷をかぞえ、百万石の大名の一年分の年貢収入に匹敵するほどの費用をかけたといわれ、お化粧料としての持参金(?)も三万石(当時の皇室の所領は八千石)です。
武家の女の入杓は、平清盛の女(建礼門院徳子)があるが、これも後白河法皇の猶子(養女)としてです。
まったく先例がないと大奮発となったわけで、諸道具などはとくに京都で、高値をづけたものに発注したくらいですが、それでも和子の支度は期待外れとして、"近比おかしき事也"と、ある公家さんの日記にあります。
村内婚の時代はとにかくとして、かつては嫁入り道具を先方に届けるのは、婚姻の儀式の重要な一部で、結婚式の当日、花嫁とともに送り出す慣例でした。
その嫁入り支度も、今日的意味では、だいぶ以前と異なる点も生じてきましたが、依然として度外視できないものであることは、否定できないでしょう。
だが、現在の荷物送りは、ふつうは結婚式とは切り離して考えられ、行なわれているのが実状のようです。
すなわち、嫁入り道具もそろって、挙式の日が近くなると、両家で相談の上、適当の佳日をえらんで、荷物送りということになるのですが、これには正式には、仲人さんにお願いして先方に出かけてもらい、また、親類、知己のうちの適当な人に、荷宰領になっていただくのです。
もっとも実際的には仲人さんに先にいってもらい、トラックではこんだりもします。
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