2014年3月アーカイブ

国際結婚の歴史 その1

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外国人と結婚すれば日本人でなくなるの?
ここですこし歴史のおべんきょうを。

国際結婚を見る目というのは、歴史的な背景があって少しずつつくられてきたものです。

日本には、いったいどんな国際結婚の形があったのでしょう。

国が法律で規定していった国際結婚をふりかえって、そのときのようすを想像してみてください。


◆明治以前◆
徳川幕府が鎖国を始めたとき、イギリス人やオランダ人の日本人妻や子どもたちはジャガタラ(今のジャカルタ)へ、ポルトガル人やスペイン人との混血児たちもマカオへ追放されたということです。

鎖国の前後に日本へやってきた外国人は男性であったから、そのときの組み合わせは日本の女性と外国の男性がほとんどでしょうが、数えるくらいわずかだったにちがいありません。

◆明治憲法のとき◆
明治になって、1873(明治6)年、はじめて日本国籍についての布告がなされました。

これは「内外人婚姻法規」とよばれていたように、外国人との結婚に関するものでした。

ここでは、外国人と結婚するのに政府の許可がいり、外国人男性と結婚する日本人女性は日本の国籍を失い、日本人男性の妻となる外国人女性は日本の国籍を得るとありました。

国際結婚
係官はきちんと式服を着、この町の公用語であるフラマン語で式を始めた。

私たちは結婚の誓いのようなものを読むように促されたが、目で追ってみるだけで、なにが書いてあるのか理解するには至らな
かった。

最後に二人が大きな結婚届出帳に署名をし、二人の保証人(仲人)も署名して式は終わった。

役所が結婚式まで行わなければならないかどうかは別として、日本の役所で扱う結婚届とずい分違う、という印象を残した結婚式だった。

〈宗教婚〉
ギリシャは1983年から民事婚を認めていますが、まだまだ圧倒的多数の人がギリシャ正教の教会で結婚式をあげ、それが公的なものとなっています。

イランも宗教婚です。

イランは、イラン人男性(イスラム教徒)が異教徒の女性と結婚することは許していますが、イラン人女性が異教徒と結婚することを認めていません。

結婚や離婚の登録は、町や村にある登録所が政府(法務省)の許可を受けて民間事業として行っています。

結婚も離婚も共にイスラムの教えにもとつく規律に従わなくてはなりません。

イランではメッリエという結婚契約金が結婚前に決められます。

「メッリエとは、万一、夫の側に妻と離婚したい事情ができたとき妻に支払うお金のことで、役所で結婚の書類を作る際にも金額を明記する。

〈フィリピンの結婚〉
結婚を正式に行なう人として、家族法7条によると、判事、教会の権威者、艦長(あるいは機長)、軍司令官、領事があります。

1991年地方自治法では市長も含みます。

注意!どんな結婚をするにしても、日本への婚姻届を忘れずに!

国際結婚