国際化の波は、個人としても国としても避けることはできません。
国際化の波は、海の波がさまざまな漂流物に会い、運び、乗り越えて地球のすみずみにまで、ひたひたと押し寄せている姿として例えることができます。
大昔、人々は海流に乗って移動し、新しい生活を移し、伝えていきました。
国際化という波が出会う漂流物は、人・民族・文化・社会が持つさまざまな姿です。
このことは日常生活において私たちがしばしば経験していることでもあるのです。
世代、宗教、信条、主義などを異にする人びとと付き合って私たちは生活しています。
現実生活で、人びとの間に相互不信、対立、排斥、争いが絶えないのは、人びとが自分とは違った考えを持つ人との付き合いに慣れていないからです。
確かに、当時、近代的な科学技術がアジアにはまだ発達していませんでした。
また、アジアの多くの国が欧米の植民地であったということも、アジアは遅れているという意識を、日本人に植え付けたのかも分かりません。
正確かどうかは別として、日本の学校教育は、いまだに欧米が優れ、アジアが劣っているという意識が支配的だという指摘もあります。
アジアは劣り、欧米が優れているという考え方は、欧米に対する劣等感とアジアに対する優越感として、日本人の意識構造を二極に分解しました。